悪としての自然(『脱出』ジョン・ブアマン)

偽悪的でもなく露悪的でもない、純粋な悪。それが人里離れた村から放たれるのは、どうしようもなく凡庸なのだけれど、悪は純度が高ければ高いほど凡庸になるはずだ。だからこそ、ここで表現される悪は、全く的確なものとなる。その的確さは、自然までをも悪とみなすことであり、何物も関与しない自然は人間に対して容赦ない試練を施す。それを悪と矮小化して見るのは、ぼくたちが歴とした人間だからだ。決して摂理なんかじゃない。悪だ。そして、自分に降りかかる不条理な状況を悪と見なすことで、ここに描かれる地獄の情景を限りなく魅力的になる。人間が完全に自然になるのは、死体になることかもしれない。ここに描かれる様々な死体が魅力的な造形なのも、それが原因なのだと思う。