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反フェティシズム(『突破口』ドン・シーゲル)

音楽でも映画でも良いのだけれども、フェティシズムを持ち出されるのが苦手だ。自分の存在を表明するための唯一の手段であればしょうがないけれども、それが共同体を存続するための手段の場合、ぼくは辟易としてしまう。それって、自分の好きなものに対する冒涜になるのではないか。そんなことまでして、自分の好きなものを利用するなんて、ひどいことなのではないか。この主張が幼い事は承知している。だが我慢できないことは、どうしようもない。ぼくの好きな映画は、そんなフェティシズムからは無縁であって欲しいと思うし、そんなことから屹立して存在していると思う。何もないところから、突然現れる暴力に、ぼくは唖然とするばかりだ。その突然性がぼくに脅威を与えるのは、それがちゃんとした日常性を伴っているからだ。そう、その日常性は、フェティシズムからぼくを守るための、最大の盾になるんだ。

くだらないこと(『ウィークエンド』ジャン・リュック・ゴダール)

仏車を欲しいと思う。ぼくは車を新車を1台、中古車を1台買ったけれども、両方とも独車だ。ぼくが独車を購入したのは、自分があまり車をいじらないことを意味する。今乗っているのはカブリオレで、ソフト・トップだ。次に車を購入することがあれば、またソフト・トップを買いたいと思っている。仏車を欲しいと思うのは、独車にはない柔らかさに魅力を感じ始めたからだ。ファセル・ベガのカブリオレは、とても乗りごごちが良さそうに見えるが、ジャン・ヤンヌとミレーユ・ダルクが実際に運転する姿は、不愉快な裕福なカップルそのままで、車自体にも不愉快な印象を受けてしまった。むしろ日本車のS800の方に美しさを感じてしまう。それって、ジャン・ピエール・レオのどこにも安定しない佇まいが、車の形態に影響を与えているせいか。2CVの不格好さは、それが恰好悪ければ悪いほど、スタイリッシュに感じてしまう。プジョーの202、203はクラシカルすぎるが、204、404は今見るとそんなに悪くない。こんなくだらないことを考えさせるために、映画は存在する。

深夜のお茶(『It Don't Bother Me 』Bert Jansch)

深夜にお茶を飲むようになったのは、病気をしてから。大きな手術をして、医者からは酒を飲んでも良いと言われたが、何だか飲むのがいやになってしまった。病気をするまでは、深夜に酒を飲んで現実逃避しないと眠れなかった。今は、体調という現実と向き合わなければならないが、不思議と寝ることに、そんなに苦労していない。寝る前のお茶の供には、音楽を必要とする。視覚情報は、ぼくの精神には負担が大きい。心への働きかけが少ない音楽が適切だ。ぼそぼそとした唄と、ごつごつとした鉄弦のギター。裏ジャケットのライナー・ノーツを呼んでいたら、バートは父がずっと戦争に行っていたと思っていたが、後に兄から、父が女と蒸発したと聞かされたエピソードが曲目紹介に添えられていた。蒸発後、父の姿は一切見ていないらしい。

血の色は死の色(『刑事マルティン・ベック』ボー・ヴィーデルベリ)

映画における死の表現には、いくつかやり方があるのだろうけど、殺人の瞬間は勿論、その後の遺体処理を丹念に描くことで、死を表す方法をこの映画で知った。殺人の瞬間よりも生々しい死の触感、それは視覚として映画に表されるのだけれども、その視覚を通じて強く五感に訴えかけるものでもあり、さらにはそれを通り越して、ぼくには警官としての職業の倦怠までもを感じることを体験した。それが、この映画にとって最も訴えたかったものかは分からないけれども、体に直接訴えかけるものとして、ぼくはこの映画を記憶したし、それは通常の記憶とはべつの経験として記憶されたものであり、いつまでもぼくの体の中に残っているものだ。それは映画としての価値の1つとして評価しても良いのではないかと考えている。

世界の国からこんにちは(『恋人たちは濡れた』神代辰巳)

故郷って嫌だな。いや違う。ぼくを知っている故郷って嫌なんだ。もしぼくを知らない故郷があったらどうなるのかな。でもそんなことは無理だ。じゃあ、こちらから徹底的に知らないことにしよう。そうだ、自分が知らないと言えば、世界は見知らぬものになるんだ。たとえそれが故郷であったりしても。初めてみた世界のように、故郷を仰ぐ。初めて話したように、幼馴染に触れる。そんなことは無理だって?うん、そうかもしれない。どんなに頑張っても、現実はぼくの世界に浸食してくる。だから、ぼくは無意味な跳躍をし続けるんだ。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、他にどうしたらよいか、わからない。ぼくの世界は、煌めく短刀で、海中に消えてしまったけれども、その最後のきらめきが、あなたの瞳に映ったならば、それはそれで良いのかなと思ったんだ。

最大の悲劇(『赤心の歌』アル・クーパー)

自分でやりたいけど、自分では演奏しきれない曲を作ってしまった。自分が一番愛しているのに、自分にはそれを表現できる術を持っていないんだ。だからと言って、他のひとに渡したくはない。頭の中で奏でられる最高の歌は、自分を通して、ひどくつまらないものになってしまった。誰よりも、その曲を愛しているのに。やりきれないことだけれども、完成させよう。それは自分の欠点を、一つ一つ再確認するようなつらい作業だけども、しょうがない。自分に出来ないことは出来ないこととして、正直にさらけ出そう。もしかしたら、その気持ちが、何かを作品に託すことになるかもしれない。真摯に対する愛であったり、虚無に対する絶望だったり、君に対する思いやりだったり。

天国に一番近い時間(『'ROUND ABOUT MIDNIGHT』大友克洋)

今からくる?そう、いいね。腹がへったな。何か食べにいこうか。こんな時間に、どこがやっているかな。そうだ、あそこならまだやってる。あしたはどうしようか。まあ、いいか。ちょっと、寒いね。おまえの手袋貸してくれよ。あ、けっこういいやつ持ってるね。おれのは、こんなにペラペラさ。でもマフラーはスコットランドだよ。この娘もだめになったなあ。デビュー曲はよかったのに。作曲家が変わってから駄目になったよ。あっ、この娘は、かわいいね。ラーメンの汁って、最後まで飲むの?それ、体に悪いよ。えっ、気にしてない。でも、もたれない?それ、新発売なんだ。明日買おう。ん、寝ちゃったの。おれも寝よう。